雑記帳

雑食で書いてます

雑記2

前回を雑記1とすると今回は雑記2か。

ちなみに前回より既に一か月が経過しようとしている。このブログは既に日々の記録どころではなくなっているが、日々の記録でいようと努める。

 

別に今何か長ったらしいことをぐだぐだと書きたい気分ではない。が、やっぱり何かが溜まった時には何かを書きたくなるのが性である。なんとも非効率で燃費の悪い性格だろうかと思う。時間を膨大に使った挙句、そこにあるのは取り留めもなく、要点もなく、雲をつかむような文章だけである。しかしそれもそれで良い。結局何が言いたいのかは筆者すらも分かっていないのだ。全国の小中高生のみんな、筆者の思い、筆者の主張なんてものは、雲みたいなもので、あったとしてもそれは造られたものにしか過ぎない。文章や言葉に惑わされることなかれ。

 

しかし一体全体言葉とは不思議なもので明らかに間違っているとされているものさえ世の中をまかり通る。むしろそれが正しいと言われることもある。彼らは無知なのではなく、それしか知らないのである。繰り返すが決して無知ではない。言葉とは多種多様であることを知らないのだ。所詮言い回しの違い程度にしか解釈できず、その言葉に隠された真意を探ることなく、広義的な意味で言葉を受け取っとしまうが故に、個々の心情は知られることもなく消え去っていくのだ。それが常である。

 

せめて自分だけでも、言葉には心髄を持って使いたいものである。何度も言うが本来発する思いというのは形なく、心の中をさまよっている。それを形ある言葉にしてしまうという行為自体が浅はかであり、そして最も困難なことであるのだ。安易に言葉にしてしまうのではなく、感情を溜めて、溜めて、また溜めて。そして溢れた言葉こそがその感情の中で最も澄み切った純粋な言葉として人に響くのである。