雑記帳

雑食で書いてます

雑記3

 何故かふと誰も知り合いがいないところにいきなり行きたくなる。そんな気持ちを持ったことがありませんか。誰しもがあることだと思いますが、急に環境を変えたくなったり今までの繋がりをすべてリセットしたくなったり、まぁ要するに今の生活にうんざりしてしまったというか、飽きてしまったというか、感動がなくなったというか。

 

まぁそういうときって環境変えてしまうのが一番手っ取り早いですね。独身で仕事なんかも特に偏食なくやれる方は割とハードルが低いのかなと思います。どこ行っても一人でいろいろ始めるのは大変なことですが、生き甲斐を見出す手段としてはかなり有効かと思います。

 

生き甲斐というのはそもそも、人生を通じて一つだけとこだわったことはないと思うんですよ。その時々で生き甲斐が変わっても良いし、変わらなければそれはそれで良いし。何故かこう、一つのことを貫き通すことに美徳を感じてしまうのは日本人だからでしょうか。

 

家庭があったり、仕事上自分がいきなりいなくなるとまずいような立場にある方だったりすると、一気にハードルがあがるような気がします。っていうかそもそも無理です。新しい趣味を始めたり、新しい友人を作ったり、何かこう少しでも身の回りを変えようとして、ジタバタして終わってしまうんだろうなあと思います。これといって解決策がないような気が。

 

 

雑記2

前回を雑記1とすると今回は雑記2か。

ちなみに前回より既に一か月が経過しようとしている。このブログは既に日々の記録どころではなくなっているが、日々の記録でいようと努める。

 

別に今何か長ったらしいことをぐだぐだと書きたい気分ではない。が、やっぱり何かが溜まった時には何かを書きたくなるのが性である。なんとも非効率で燃費の悪い性格だろうかと思う。時間を膨大に使った挙句、そこにあるのは取り留めもなく、要点もなく、雲をつかむような文章だけである。しかしそれもそれで良い。結局何が言いたいのかは筆者すらも分かっていないのだ。全国の小中高生のみんな、筆者の思い、筆者の主張なんてものは、雲みたいなもので、あったとしてもそれは造られたものにしか過ぎない。文章や言葉に惑わされることなかれ。

 

しかし一体全体言葉とは不思議なもので明らかに間違っているとされているものさえ世の中をまかり通る。むしろそれが正しいと言われることもある。彼らは無知なのではなく、それしか知らないのである。繰り返すが決して無知ではない。言葉とは多種多様であることを知らないのだ。所詮言い回しの違い程度にしか解釈できず、その言葉に隠された真意を探ることなく、広義的な意味で言葉を受け取っとしまうが故に、個々の心情は知られることもなく消え去っていくのだ。それが常である。

 

せめて自分だけでも、言葉には心髄を持って使いたいものである。何度も言うが本来発する思いというのは形なく、心の中をさまよっている。それを形ある言葉にしてしまうという行為自体が浅はかであり、そして最も困難なことであるのだ。安易に言葉にしてしまうのではなく、感情を溜めて、溜めて、また溜めて。そして溢れた言葉こそがその感情の中で最も澄み切った純粋な言葉として人に響くのである。

再開

 長らく放置していたが、身の回りに大きく変化が起こったので再開とする。伴ってタイトル他を変更した。およそ前回の記事から1年と半年が過ぎようとしており、その記事ですらたった2記事目であり、初回の記事からもう2年を超えてしまった。一緒にブログを始めた人はどうなっているだろうか。近況すら分からないが、見る人がいれば見ればよいし、いなかったらいないでよろしい。

 

 さて、継続は力なりとの言葉であるが、文字通り「継続する事が即ち実になっていきますよ」という訓えであり、この世界に生きる人ならば誰もが同感せざるを得ないような至極当前のことである。それに倣いこの記事も継続していかなければと思う次第であるが、いまさら何を書けばよいのか分からん。

 ので、まぁ趣味やら仕事の話やらを書いて行くしかないのだが、これがまた難しい。日本の素晴らしいブロガーたちはキチンと写真を撮り、それをアップロードしながら面白おかしく文章を綴っていく。なんと高貴な才能であろうか。アフィリエイト等で収入があるのなら分からんでもないが、まさに継続が出来る人というのは既にそれは才能だと思える。その才能に近づけるように苦労しようとは思わないが、少しくらいの暇をつぶすことは決して悪いことではないはずだ。

 

 近々Aboutというものを書いてみたいが、立ち上げ当初2015年のはじめに書いた通りこのブログの方向性は雑記とする。近年SNSが急速に普及したおかげで病みまくりの現代人はたぶんそろそろ脱SNSの流れになっていくだろうと思う。もれなく私もそうだが、FacebookTwitterはもうほとんどやらずインスタを少しやるくらいでよいかなと思う。まぁそのうちこのブログにインスタの写真を表示できるように設定したい。そこでブツブツと能書きを垂れてもたかがSNSなので、せめて長文が見やすいブログにしようかってところ。

 

 そんなわけで今はこれくらいで。

夏が去る

 ずいぶんと時間が経ってしまったが、今夏ももうすぐ去っていく季節となった。たくさん考えることはあるが、それなりに選択し、それなりに答えを出して今年も夏が過ぎ去っていった。今夏はあまりくよくよ考える暇もなく(暇というよりそれが夏の醍醐味であるとするならば今年はもったいない夏の過ごし方をした)すでに9月も残り数日となっている。来年こそは、と思うもののそれが果たして有意義となるかは不明である。

 

 今夜は中秋の名月とのことで、前回の記事に書いた昨年の夏の終わりを思い出す。昨年の晩夏は自分の中で人生の岐路となった。というのも岐路というは私も幾度も経験してきて、これはその中の一つでしかないのだが自分の人生を決める上で深い意味を持った選択だった。そして焦った私はその分かれ道で右往左往していたと思う。いろんな人に迷惑を掛けたし、いろんな人を傷つけてしまったのではないかと思う。もちろん今考えても選んだ選択肢は正解だったのか間違っていたのか、全く分からない。それから一年がようやく過ぎたところである。

 

 一人で過ごすことが極端に減ったため、今日のようにじっくり何かを考えたり思い返したりすることをしなくなってしまった。今夜はたまたま一人になったため年頭に立ち上げたこのブログを思い出して言葉にしておかなくてはと思ったのである。日々改めて思うのは、思ったこと考えたことそれらを言葉にするということを怠ってはならいということだ。意思や感情は決して100%言葉にはならない。元来形がないものを無理矢理言葉にすることで形にしてしまうために絶対に言い表せない部分が出てくるのである。しかしそうだと言ってあきらめてしまってはいけないところがあって、日々思ったことや考えたこと、意思や感情を言葉にすることで限りなく100%に近づけるような訓練を行わなければならない。

 もともと楽な方へ楽な方へ逃げる上にさぼり癖のある私にはなかなか難しいことではあるが、上に書いたようなことは大切なことだと日々思うのだ。

 

 さて冒頭で少し書いた去る夏についてだが、これに少し重複する話題として2015年は既に残り100日を切っているということだ。実に恐ろしい速度で一年が経過していく。盆を過ぎたあたりからこちらの夏は急に冷え込みだし、例年ならば9月も残暑の日が続きとても秋に向かっているとは考えられないのだが、今年はとにかく寒くなるのが早かった。すこし変わった夏だなと思った。今夜は中秋の名月らしく夜風は涼しすぎるくらいのそよ風が吹いている。残念ながら雲が流れているため合間から満月がのぞくくらいではあるが、確かこういう雲のことを叢雲(むらくも)と言ったはずだが、なかなか風情があるものだ。

 という訳で残りの2015年も有意義に過ごしていくためにもこのブログを続けていかなくてはと思い、反省するのであった。

 

初心に戻る

 今日は書き初めということでブログを書いてみる。ちなみに初めての投稿。年が明けて2015年となった。いつの間にか21世紀をもう15年。早いなぁと思うのとでもこの15年っていろんな経験が出来たなとも振り返る。

 大体年の暮れか年初めに新たなる一年の目標を決めるのだが、今年の目標は少し遅れて今日5日に決めた。それはタイトルにもある通り「初心に戻る」いろんなことを経験して、いろんな人と繋がったけど、ふとした自分の仕草や言動でまだまだ道半ばだと痛感する。初心に戻ることって多分めっちゃ難しいと思うけど、たとえば文章の書き方だったり、音楽の聞き方だったり、人から聞く話、人への話し方、そういうもんを全部初心に戻って改めて自分の人生を見つめたいと考えるようになった。だからこのブログもほとんどめちゃくちゃに書いて行きたいなぁ。だから主に雑記。本当に雑記。いろんなことをめちゃめちゃに書いて、それが2015年の目標。笑

 今更ブログかよって思ったけど、便利でいいよねブログ。この無機質なブログが何か人の目に留まって、ざっと読んで5分後には忘れてる。そんな文章を書きたいと思う。前とはこの何かを書くっていう動作に関して考え方が変わったなぁと思う。前は書いているうちになんとなくその文章のテーマが縁取られてきて、最終的にそのテーマについて面白可笑しく締めようと書いていたけど、今はなんとなくこう形にならなくて言葉になりづらいものを永延と垂れ流すのも悪くはないかなと思う。かと思えば思いっきり何かについて言及してしまうような記事が出てきたりするんだよなぁ。参加グループも音楽にしてしまったし、音楽のことなんかも書かなきゃなぁ。笑

 まぁでもそれでも何かを書き続けることは、きっと自分にとって大切なことだと言い聞かせる。最後に昨夏書いた記事を書き初めとしよう。

「白ワインで一夜を明かす」

 唐突だが、夏に限って言えば清酒はどちらかというと冷だ。当然である。ワインはどちらかと言えば白だ。これは当然なのか分からないが、自分は白ワインだ。赤ワインは口の中に渋さが残るのと、果実独特の酸味が強調されているのが苦手である。などと通ぶったことから書き始めている。先般は夏の夜を堪能するが如くビールをたらふく飲み、飽きたら白ワインに切り替わって夜が更けた。ボトルは一本ほど空いたが、もちろん足りず途中もう一本を買いに走ったことを覚えている。そのままその一本も二人で空けると、今度はやけに二人とも神妙になってしまって気付かないうちに眠りについてしまった。気が付けば翌日の昼過ぎで、僕たちは日曜日の昼下がりを軽い二日酔いと共に過ごしたあと、解散した。

 なんとも言い難い一週間を過ごしたと思う。夏の気配は存分に味わったのだが、白ワインの香りと共に二本目の妙な渋さを残しながら、実になんとも言えないひと夏となったのである。

 夏ももう本番を迎え、その時期になるともう終わりが見えてくるもの事実だ。何故かこう言葉には言い表せられないモノがつきまとわって離れなくなるのである。盆まではもうすぐ。盆を過ぎれば終わりは目前。今年の夏は何をするのだろうか。何が自分を待っているのだろうか。ここで一人葛藤するのも今夏の醍醐味であることは間違いない。人生の岐路を見たのは何度目だろうか。その都度の選択を間違っていたとか間違っていなかったとか、そんな尺度で見たことはないが、今回の別れ道もそんな見方をしなくて済むものだろうか。とても判断は付かない。やるしかないは理屈ではないのだ。